共同親権制度の現状と問題点
2024年5月、民法等の一部を改正する法律が成立し、これまで離婚後は単独親権のみが認められていた日本の法制度が大きく変わることになりました。本改正により、父母は離婚後も共同で親権を行使することが可能となります。一見、子どもの利益を守るための前進のように見えますが、実際にはいくつかの深刻な問題をはらんでいます。
制度の主な変更点
新制度では、離婚時に父母の協議により、双方または一方を親権者と定めることができるようになります。協議が調わない場合は、裁判所が子の利益の観点から判断を行います。ただし、DVや虐待のおそれがある場合、または親権の共同行使が困難な場合には、単独親権とすることが義務付けられています。
共同親権制度に潜む危険信号
危険信号その1:権利の主張と義務の不履行
最も懸念されるのは、親権という「権利」のみを主張し、養育という「義務」を果たさないケースの増加です。現行の面会交流でさえ、取り決め率は約30%、実際の履行率は約20%に留まっているのが現状です。共同親権制度の導入により、権利だけを主張して子どもの生活に介入する、いわゆる「都合のいいときだけの親」が増える可能性があります。
たとえば、以下のような事例が想定されます。
医療関係での介入:子どもの予防接種について、同居親が接種を希望しても、別居親が「親権者として同意しない」と主張するケース。しかし、その別居親は予防接種費用も養育費も支払わず、子どもの日常生活にも関与していない。
教育関係での介入:高校進学の際、同居親と子どもが公立高校への進学を希望しているにも関わらず、別居親が「有名私立高校に行かせたい」と主張。しかし学費の支払いには応じず、子どもの意思も無視している。
部活動での介入:子どもが熱心に取り組んでいる部活動について、別居親が「勉強に支障がある」という理由で突然反対し、親権者として退部を要求。しかし普段の学習支援や生活面での関与は一切していない。
日常生活での介入:子どものスマートフォン使用について、普段の生活ルール作りには関与せず養育費も滞納している別居親が、突然「使用を禁止する」と親権を主張。子どもの学習や友人関係に支障が出ている。
危険信号その2:DV・虐待リスクの見逃し
DVや虐待は必ずしも物理的な暴力を伴うとは限りません。精神的暴力やネグレクトなど、表面化しにくい形態も多く存在します。共同親権制度下では、これらのリスクを見逃す可能性が高まり、被害者である親や子どもが加害者との関係を継続せざるを得ない状況に追い込まれる恐れがあります。
特に深刻なのは、DVや虐待が子どもの生命を直接的に脅かすリスクとなることです。2022年度の児童相談所での児童虐待対応件数は21万件を超え、子どもの生命が失われるケースも後を絶ちません。
身体的虐待の場合、外傷等の形で発見されることがありますが、以下のような虐待は表面化しにくく、共同親権制度の下では更なる危険が予想されます。
国連が定めた子どもの権利条約第6条では、「生命に対する子どもの権利は最大限尊重されなければならない」と定められています。共同親権制度の導入により、加害者である親が親権を主張し続けることで、子どもの生命が危機にさらされる可能性があります。
一度失われた命は二度と取り戻せません。親権の問題以前に、子どもの生命の安全を最優先に考える必要があります。制度の運用に当たっては、わずかでもDVや虐待のリスクがある場合には、躊躇なく単独親権を選択できる仕組みの構築が不可欠です。子どもの命を守ることは、社会全体の責務であり、いかなる親の権利もそれに優先することはできないのです。
危険信号その3:子どもを巻き込んだ紛争の長期化
共同親権制度では、子どもの教育や医療など重要な決定に両親の合意が必要となります。しかし、離婚に至った夫婦間では、こうした合意形成が困難なケースが多く、結果として子どもを巻き込んだ紛争が長期化する可能性があります。
例えばある10歳の子どもが重度のアレルギー症状で入院が必要となったケースでは、治療方針を巡って両親の意見が対立し、必要な医療行為が遅延する事態が発生しました。母親は医師の推奨する治療に同意しましたが、父親は別の治療法を主張して同意を拒否。その間、子どもの容態は悪化の一途をたどりました。
最終的には裁判所の緊急判断を仰ぐことになりましたが、その過程で約2週間もの時間を要し、子どもは不必要な苦痛を強いられることになりました。この間、両親は互いを非難し合い、子どもは身体的な苦痛に加えて、深刻な精神的ストレスにもさらされることになったのです。
このまま共同親権制度が施行されれば、こういった事例がさらに深刻な状況となって増えることが予想されます。
危険信号その4:経済的負担の不平等
養育費の支払い状況を見ると、現在でも履行率は約25%程度に留まっています。共同親権制度の導入後も、経済的負担を適切に分担せず、権利だけを主張する親が出てくる可能性が高いと考えられます。
厚生労働省の「全国ひとり親世帯等調査」によれば、養育費の受給状況は、母子世帯で24.3%、父子世帯で3.2%に留まっています。このように、現状でも経済的な義務を果たさない別居親が多数存在する中、共同親権という新たな「権利」が付与されることで、さらなる問題が生じることが懸念されます。
特に問題なのは、経済的負担を回避しながら、子どもの教育や医療に関する重要な決定に介入できてしまう点です。養育費の支払いという基本的な義務すら果たさない親が、高額な医療費や教育費を必要とする場面で、同意権を盾に要求を突きつける可能性も考えられます。
このような状況下では、実質的な養育を担う親(多くの場合は母親)に過度な経済的負担が集中し、子どもの健全な成長に必要な機会が失われる恐れがあります。共同親権制度が、皮肉にも子どもの貧困を助長する要因となりかねないのです。
さらに深刻なのは、一度も養育費を支払ったことがない別居親の存在です。同調査によると、取り決めすら行っていないケースが過半数を占め、取り決めを行っても履行されないケースが多数存在します。
- 養育費の取り決め率:母子世帯42.9%、父子世帯20.8%
- 現在も受給している割合:母子世帯24.3%、父子世帯3.2%
- 養育費の平均月額:母子世帯43,707円、父子世帯32,550円
これらの数字は、多くの子どもたちが必要な経済的支援を受けられていない現状を如実に示しています。共同親権制度の導入により、こうした不均衡がさらに深刻化することは避けなければなりません。
危険信号その5:実務現場の混乱
学校や医療機関など、子どもに関わる実務現場において、どちらの親の同意を得れば良いのか、緊急時の判断をどうすべきかなど、新たな混乱が予想されます。この問題は、子どもの日常生活や緊急時対応に重大な支障をきたす可能性があります。
具体的に学校現場では、以下のような場面で混乱が予想されます。
修学旅行や課外活動の許可を求める際、両親の意見が対立した場合、学校はどちらの判断に従うべきでしょうか。また、緊急連絡先としてどちらの親を優先すべきか、学校行事の案内をどちらに送付すべきかなど、日常的な実務においても判断に迷う場面が増えることが予想されます。
特に深刻なのは、いじめや不登校などの問題が発生した際の対応です。両親の意見が対立した場合、学校としての適切な介入や支援が遅れ、子どもの状況が悪化する可能性があります。
医療機関では、さらに深刻な問題が予想されます。
手術や重要な治療方針の決定において、両親の同意が得られない場合、医師はどのように対応すべきでしょうか。特に緊急性の高い治療が必要な場合、決定の遅れが直接的に子どもの生命に関わる可能性があります。
また、予防接種や定期健診など、日常的な医療行為においても、両親の意見が対立した場合の対応に苦慮することが考えられます。医療機関としては、訴訟リスクを考慮して、必要以上に慎重な対応を取らざるを得なくなる可能性もあります。
保育所や児童福祉施設などでも、以下のような問題が発生する可能性があります。
- 延長保育の利用可否
- 各種支援サービスの利用決定
- 緊急時の対応方針
- 子どもの送迎に関する取り決め
児童手当や医療費助成など、行政手続きにおいても、申請者や受給者の決定において混乱が予想されます。特に、両親が別々の自治体に居住している場合、手続きがより複雑化する可能性があります。
このような実務現場での混乱は、最終的に子どもにしわ寄せが及ぶことになります。共同親権制度の導入に際しては、実務現場での具体的な判断基準や対応マニュアルの整備が不可欠です。同時に、緊急時における判断の優先順位や、実務現場の免責規定なども明確にする必要があります。
解決策の提言
提言1:共同養育義務の法制化
現行の改正法では共同親権を「選択制」としていますが、これを「共同養育義務」として原則義務化することを提案します。具体的には以下の内容を含みます。
- 離婚時の養育計画書の作成と提出の義務化
- 養育費の支払いと面会交流の実施を法的義務として明確化
- 義務不履行に対する罰則規定の導入
提言2:養育支援体制の確立
子どもの養育を実効性のあるものにするため、以下のような支援体制を整備します。
- 専門家による養育計画作成支援システムの構築
- 定期的な養育状況のモニタリング制度の導入
- 養育費の立替払い制度の創設
- 面会交流支援センターの全国展開
提言3:DV・虐待防止のための監視体制強化
より確実にDVや虐待のリスクを把握し、対応するための体制を整備します。
- スクリーニング基準の明確化と専門家による評価システムの導入
- 継続的なリスクアセスメントの実施
- 加害者更生プログラムの義務化
- 被害者支援体制の強化
実現に向けた課題
法制度上の課題
現行の民法改正との整合性を確保することは、本提言の実現に向けて最も重要な課題の一つです。特に親権に関する規定は民法の根幹に関わる部分であり、慎重な検討が必要となります。また、児童福祉法や戸籍法など関連する法規についても、包括的な見直しと必要な改正を行う必要があります。さらに、子どもの権利条約をはじめとする国際条約との整合性を確認し、グローバルスタンダードに適合した制度設計を行うことも重要です。
予算・人材面の課題
養育支援体制の構築には、相当規模の予算確保が必要となります。特に全国規模での支援センターの設置や、専門家の育成・確保には多額の初期投資が求められます。また、継続的な運営のための予算も必要不可欠です。専門家の育成については、心理、法律、福祉など多岐にわたる分野での専門性が求められ、その育成には相当の時間と費用がかかることが予想されます。さらに、支援施設の整備については、全国各地での均質なサービス提供を実現するための施設整備費用も考慮する必要があります。
社会的合意形成の課題
本提言の実現には、幅広い関係機関との調整が不可欠です。裁判所、法曹関係者、児童相談所、教育機関、医療機関など、多岐にわたる機関との連携体制を構築する必要があります。また、共同養育義務の法制化という新しい概念について、国民の理解を得ることも重要な課題です。特に、離婚を経験した方々や、これから離婚を考えている方々に対して、新制度の意義や必要性を丁寧に説明し、理解を得ていく必要があります。
既存の親権者に対する対応も慎重に検討する必要があります。新制度の導入により、既に確定している親権の取り決めにどのような影響が及ぶのか、経過措置をどのように設定するのかなど、細やかな配慮が必要です。特に、DVや虐待の被害者となっている方々に対しては、新制度によって不利益が生じることのないよう、十分な保護措置を講じる必要があります。
これらの課題は、いずれも時間と労力を要する重要な問題です。しかし、子どもたちの健全な成長のために、一つ一つ着実に解決していく必要があります。特に社会的合意形成については、拙速を避け、丁寧な議論と説明を重ねていくことが重要です。
期待される効果
子どもへの効果
共同養育義務の法制化により、子どもたちは両親からの継続的な養育を受ける権利が法的に保障されることになります。これは単なる制度上の変更ではなく、子どもの成長に必要不可欠な両親からの愛情と支援を確実に受けられる環境を整えることを意味します。また、養育費の確実な支払いと定期的な面会交流の実施により、子どもたちは経済的にも精神的にも安定した生活環境を得ることができます。
特に重要なのは、子どもの心理的負担の大幅な軽減です。現状では離婚後、片方の親との関係が希薄になったり、両親の対立に巻き込まれたりすることで、多くの子どもたちが心理的なストレスを抱えています。共同養育義務の制度化により、両親が協力して子育てを行う体制が整備されることで、こうした心理的負担が軽減されることが期待されます。
社会的効果
社会全体への影響も大きいものが予想されます。まず、養育費の確実な支払いが実現することで、ひとり親家庭の貧困率が大幅に低下することが期待されます。現在、日本のひとり親家庭の貧困率は50%を超えており、OECD諸国の中でも極めて高い水準にありますが、この改善に大きく寄与することが期待されます。
また、子どもたちが健全に成長することで、将来的な社会的コストの削減にもつながります。具体的には、不登校やいじめ、非行などの問題に対応するための費用、さらには成人後の生活保護などの社会保障費の削減が期待できます。
さらに重要なのは、次世代の家族関係の改善です。両親が協力して子育てを行う姿を見て成長した子どもたちは、将来自身が親になった際にも、より良い子育ての在り方を実践できることが期待されます。
制度的効果
制度面では、まず離婚後の養育に関する紛争の大幅な減少が期待されます。共同養育義務が明確に法制化されることで、これまで問題となってきた親権や養育費、面会交流をめぐる争いが減少し、家庭裁判所の負担軽減にもつながります。
養育費の支払率については、現在の約25%から大幅な向上が見込まれます。法的義務として明確化され、履行確保の仕組みが整備されることで、少なくとも50%以上の支払率達成が期待されます。
面会交流の実施率についても同様に、現在の20%程度から大幅な向上が見込まれます。定期的な面会交流が義務として位置付けられ、支援体制が整備されることで、より多くの子どもたちが両親との良好な関係を維持できるようになります。
これらの効果は相互に関連し合い、より大きな相乗効果を生み出すことが期待されます。特に、子どもの健全な成長という観点からは、経済的支援と精神的支援の両面が確保されることで、より大きな効果が期待できます。
おわりに
2024年に成立した共同親権制度は、確かに一歩前進ではありますが、現状のままでは子どもの最善の利益を十分に守ることができない可能性があります。本提言で示した「共同養育義務」の法制化と、それを支える具体的な支援体制の整備は、制度の実効性を高め、真に子どもの利益を守るために不可欠です。
今後の課題は山積していますが、子どもたちの未来のために、できるだけ早期に必要な法改正と体制整備を進めていく必要があります。そのためには、政府、地方自治体、司法関係者、そして何より国民一人一人の理解と協力が必要不可欠です。
子どもたちが安心して成長できる社会の実現に向けて、今こそ本気で取り組むべき時です。共同養育義務の法制化という新たな一歩を踏み出すことで、日本の家族法制は真の意味で子どもの利益を中心に据えた制度へと進化することができるはずです。